ケルムスコット プレス  チョーサー著作集 

ウイリアム モリス

写真9枚 ベラム刷りのケルムスコット チョーサーのすべての所蔵個所の表あり。 最後に日本の主な紙刷りのケルムスコット チョーサーの所蔵個所を示す。   ホームへ

 

 

 

 

 イギリスのウイリアム モリス(William Morris 1834-1896)は絵画 文学 デザインと広範囲の芸術活動をしましたが美しい本の製作でも有名です。 活版印刷は西洋では15世紀のグーテンベルグにはじまりますが、15世紀の西洋の印刷本をインキュナブラといいます。インキュナブラはラテン語ですが、揺籃期と いうような意味です。モリスは、中世の写本とインキュナブラを本の理想と考えました。インキュナブラとしては、とくに15世紀のイタリア ベネチア のニコラス ジェンセン アルドウス マヌチウスとイギリス最初の印刷者 カクストン等のインキュナブラを理想としました。そしてモリスはインキュナブラと同様の美しい本を作ろうと思いました。これがモリスの私家版限定本のケルムスコット プレスです。それ以後モリスの影響を受けてコブデン サンダーソンの私家版ダブス プレス、シン  ジャン ホーンビイのアシェンデン プレス等が出現しました。ちなみにケルムスコット プレスのチョーサー著作集、ダブス プレスの聖書、アシェンデン プレスのダンテ全集は世界の三大美書といわれています。この世界三大美書は 日本では印刷博物館 水野印刷博物館 広島経済大学に それぞれ3点揃ってあります。モリスは最初、牧師になるためオックスフォード大学神学部に入学〈1853年)、そこで後にチョーサー著作集の挿絵を描いたエドワード バーン ジョーンズと出会い、お互いに啓発し一生の親友になります。 モリスはその後 建築を学びますがデザインに興味を持ち、モリス商会を設立し、各種のデザインの仕事をしました。 これらの中でも壁紙 ステンドグラス 家具のデザイン等が有名です。 美しい本にも興味を持ちインキュナブラを見て自分で美しい本を作りたくなり、1891年エメリー ウォゥカーと共にケルムスコット プレスを設立し、7年間に53点 66巻の美しい本を作り出しました。 モリスのケルムスコットプレスの本の内 一番の大作でかつ最も有名なものはチョーサー著作集です。この本は大きさ42.5cm*29.0cm 本文554ページです。チョーサー著作集には紙(手漉き紙)刷りとベラム(羊皮紙)刷りのものがありますが、紙刷りのものが425部 ベラム刷りのものが13部刷られました。日本にも紙刷りのものが10ー11部程度あると思います。ベラム刷りのものは、もちろん日本には一冊も有りません。本当かどうか判りませんがベラム刷りの本一冊作るのに羊が200頭必要だったとの事です(実際は子牛革から作ったベラムだったと思います?)。そのためモリスは各方面から動物虐待だと新聞雑誌等により激しく非難されたそうです。ベラム刷りのものは1997年に1部オークションにかけられ 55万ドル(およそ6000万円)で落札されたとの事です。この額は19世紀の本としては桁違いのオークションレコードでした。 その後7年経過していますから現在では一億円近いとの もっぱらの噂です。もちろん紙刷りのものは もっと安価です。

 以下にベラム刷りの世界中のすべての所蔵個所を示します。

 

1  エジンバラ大学 
2 ケンブリッジ大学
3 アメリカ議会図書館
4 Lock Wood Memorial Library
5 Huntington Library
6 ブリテイッシュ ライブラリイ
7 ハーバード大学
8 テキサス大学
9 イェール大学
10 Southern Methodist University
11
ピアポント モルガン ライブラリー
12 アメリカの個人〈1997年オークション落札)
13 イギリスの個人
14 イギリスの個人


ベラム刷りは記録では13部刷られたことになっていますが、研究によれば少なくとも14部は刷られたようです。
 さてケルムスコット チョーサー(ケルムスコット プレスのチョーサー著作集)は1892年から4年以上かかってつくられ、1896年に完成しましたが、その数週間後1896年10月3日にモリスは亡くなりました。 この本には盟友バーン ジョーンズのデザインでフーパー刻の木版が87点あり、また多数のモリスのデザインによる木版の巨大イニシアルと縁飾りがあります。 モリスは最初 木版の挿絵は60枚入れるよう計画しましたがバーン ジョーンズが挿絵の枚数の増加を強く主張し最終的に87枚となりました。ケルムスコット チョーサーの挿絵は非常に上品で人物の描き方は1499年刊 アルドウス マヌチウス印行のインキュナブラ (ポリフィロスの夢の中の愛の闘争) の挿絵を思い出します.。このインキュナブラの挿絵のデザインはベリーニ、マンテーニャ、若き日のラファエロが関係したと言われています。ラファエロ前派のバーン ジョーンズは 〈ポリフィロスの夢の中の愛の闘争) の挿絵を研究したかもしれません?。挿絵はすべてのケルムスコット プレスに入っているわけではなく、バーン ジョーンズは53点のケルムスコットプレスの内 僅か11点の本の挿絵のデザインを担当したのみです。しかもケルムスコット プレスの挿絵は、ほとんど一点につき1-2枚で87枚というのは例外です。 ケルムスコット チョーサーは印刷時 紙刷りのものは20ポンド〈約53万円)で、ベラム刷りのものは126ポンド(約335万円)で売られました。ケルムスコット チョーサーの装丁に関しては、438部のうち48部はイギリスのダブス工房の有名な装丁家コブデン サンダーソンによる白豚革による装丁です。48部のうち45部は紙刷り、3部はベラム刷りでした。なお白豚革装丁の紙刷りの本は33ポンド(約80万円)で売られました。これは余談ですが弁護士であったコブデン サンダーソンが本の装丁を始めたのは、ダンテ ガブリエル ロセッテイ との関係で有名なモリスの妻ジェーンに(本の装丁を学んだら)といわれた事がきっかけでした。さて白豚革の装丁の費用があまりにも高額であったため残りの本は、J アンド J レイトン社による製本で 一部分をベラム装に 大部分のものはオランダ麻による背布装にしました。ベラム装は通常の本のベラム装と異なり厚紙の芯を用いず極めて薄い紙の芯にベラムをかぶせ絹布のとじ紐付きのケルムスコット プレス独特のものです〈図8にLove is Enoughのベラム装を示す)。 背オランダ麻装の表紙は我々素人にはかなり安っぽく見えます。 ベラム装と背オランダ麻装に関しては購入者が後に革装に装丁しなおしたものもあります。 もちろんこれだけの本ですから、装丁しなおしたケルムスコット チョーサーのほとんどのものがフルモロッコ装です。ケルムスコット チョーサーはフォリオ サイズですが、モリスは生前 欽定英訳聖書とシェイクスピア作品集をフォリオ サイズで出版する事を計画しました。残念な事に、この計画は達成されずにモリスは62歳で亡くなりました。 これらが出版されていたら、間違いなく三大美書はすべてモリスのケルムスコット プレスだったにちがいありません。


 ケルムスコット チョーサーの紙の本の最高のものは前述の表紙が白豚皮のものです。 これが東京大学の図書館にあります。東大がこのような気のきいた本を買うわけがありません。 東大の図書館の本は関東大震災で、すべて焼けました。それに同情したイギリスの政府が東大に寄贈した多数の本のなかに含まれていました。 白豚革の表紙のチョーサー著作集はおそらく東大の持っている洋書の中では最も高価な本の一つでしょう。 白豚革は通常モロッコ革より安価ですが、それにもかかわらず白豚革の装丁のケルムスコット チョーサーは、驚いたことに背オランダ麻装 ベラム装のケルムスコット チョーサーに比しおよそ2倍の価格です。ダブス工房のコブデン サンダーソンの装丁には、それだけの価値があるのでしょう?。この白豚革の表紙の本は日本では長く東大にしかありませんでしたが、現在 モリサワ コレクションと広島経済大学?他に個人蔵のものもあるようです。 モリスはケルムスコットプレスのために自分自身のデザインで3種類の活字を用意しました。 一つは最初に〈黄金伝説)を印刷するために用意された活字で、そのためゴールデン活字〈図4)と呼ばれていますが、これはどちらかと言えば現在のアルファベットに近く、15世紀イタリア ベネチアのニコラス ジェンセンの活字の影響を受けたものです。他方最初に(トロイ物語)に使用されたため、トロイ活字〈図3 18ポイント)と呼ばれているものは、やや装飾的なゴシックタイプの活字で、私見ですが明らかに15世紀イギリスのカクストンの活字の影響を受けたものだと思います。トロイ活字は現代の日本人には、かなり読みずらいものです。 このトロイ活字とデザインは同じで小型にした活字がチョーサー活字〈図3 12ポイント)と呼ばれています。 ケルムスコット チョーサーには、ごく一部分にトロイ活字、大部分にチョーサー活字が使われています。モリス自身はゴールデン活字が最も好きであったとの事です。ダプス プレスの活字は印刷終了後、誰もその活字を何かの印刷に使用しないようテムズ河に棄てられたとの話しですが、ケルムスコット プレスの活字およびイニシアルの版木等は印刷終了後、大英博物館に寄贈されました。ケルムスコット チョーサーは世界で最も読まれる事のない本だと言われています。出版直後から稀こう書として包装され、木箱内に入れられ、書庫の奥深くに大事に保管されて、ごく稀に展示されるのみで、普通の本として読まれることは全くありません。本当に読むつもりならぺーパーバックスで読めば十分です。ケルムスコット チョーサーは装飾過剰で、かつチョーサー活字は現在のアルファベットと全く異なり極めて読みにくいと、批判的な意見を持つ人は多くいます。このような意見の人は西洋の人のみならず、日本で最初にケルムスコット プレスの本を書いたと思われる?日本人の寿岳文章も同意見です。特にモリスの巨大装飾イニシアルと縁飾り装飾が非常に(うるさい)と言うのです。しかしモリス自身が言っているように、装飾デザイナーのモリスが人から依頼された訳でなく自分で美しく理想の書物を作ろうとした時、その本の各ページに装飾を入れ、活字と装飾の融合を試みたことは当然であり、モリスの装飾が過剰で、うるさいかどうかは全く主観の問題で、見解の相違の問題だと思います。グーテンベルグ以前の彩色写本やグーテンベルグ聖書を初めとするインキュナブラの余白の手書きの彩色装飾は、しばしばケルムスコット チョーサー以上で、一般的には装飾が多いほど高く評価されています。装飾がうるさく過剰だと言っている人はモリスが19世紀の人であることが気になるのでしょうが、この装飾があったからこそケルムスコット チョーサーは世界で最も美しい本と言われ世界中の有名大学あるいは有名図書館によって購入所蔵されているのでしょう。
 現在日本国内においてはケルムスコット チョーサー は、すべて紙刷りですが東京大学 国立国会図書館 印刷博物館 ミズノプリンティングミュージアム モリサワ カンパニー 奈良教育大学 広島経済大学 福岡大学 大阪芸術大学 麗澤大学 中央大学その他の大学 図書館 個人等により合計20箇所以上で所蔵されています。

 世界三大美書のうち 最も手に入れるのが困難なものはチョーサー著作集ではなく アシェンデン プレスのダンテ全集です。 ホーンビーはダンテ全集を僅か105部(紙)しか 出版しませんでした。 そのため現在 新しく手に入れることは ほぼ絶望的です。
以下にケルムスコット チョーサーと他のケルムスコット プレス 3点を紹介します。 

 

↑図1 ケルムスコット プレス チョーサー著作集 1896年刊 挿絵はバーンジョーンズ(KERMSCOTT PRESS, Hammersmith,1896 Geoffrey Chaucer:Works)

↑図2 図1のイニシアルの拡大写真

 ↑図3 図1の文章の拡大写真  

図の上部の3行の文章のうち上の1行がトロイ活字 下のの2行がチョーサー活字です。

 

 ↑図4 ケルムスコット プレス ジョン キーツの詩集 

巨大イニシアルとゴールデン活字(KELMSCOTT PRESS, Hammersmith,1894 John Keats: Poems) *1

  ↑図5 ケルムスコット プレス  愛は充分(Love is Enough) 

左の挿絵はバーンジョーンズ 手すき紙 表紙はベラム(羊皮紙 図8) 300部限定 

19世紀末刊(KELMSCOTT PRESS, Hammersmith,1897 Love is Enough)

↑図6 図5のイニシアル の拡大写真 木版です

↑図7 図5の唐草文様の拡大写真

↑図8 図5 のLove is Enoughのベラムによる装丁 

       横の3本の線は表紙を とじるための絹布の紐です。


↑図9 ケルムスコット プレス イザムブラス卿 1897年刊

  (KELMSCOTT PRESS, Hammersmith, 1897 The Romance of Sir Isumbras)

 

  *1 Art of the Printed Book より